有限であるからこそ

2016年4月18日岡山校

春の陽気もうららかな今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
KLCセミナーでもいよいよ新学期を迎え、名実共に新しい学年のスタートと相成りました。

この別れと出会いの季節である春。その春を象徴する「桜」。春になるたびに考えさせることを綴ってみようと思います。

毎年授業をする古典では、伊勢物語の中にこのような歌が登場します。

 世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
 桜(意中の女性)がこの世に存在しなければ、春(私)の心は穏やかでいられるのに

プレイボーイ在原業平をモデルとする男が詠んだとされるものです。桜があるから心乱れる、という解釈ができます。この歌の根底にあるのは桜がもつ「有限性」です。桜が常に咲いているものであれば、別に特別な存在とは認識されません。1年に1度、本当に短い期間だけ咲くからこそ、「美しい」「特別だ」と人間は初めて認識できます。

毎年桜を見ることで、この「終わりのある限られた時間」を実感します。これは受験勉強にも当然通じるものです。「終わりがあるから頑張れる」「時間がないから集中できる」そんなふうに時間を受け止めることができたら、行動まで変わってくる気がしませんか。

さて、新年度もスタートしました。いま、どこかフワフワと時間を流すように使っている人、集中力が散漫になっている人は「終わり」のときを強くイメージしてみましょう。「有限」が実感できたときに本来の力や、自分の目指すべき姿が捉えられるかもしれません。

岡山校 大山