縁を生かす/子供の可能性は無限
こんにちは!
遅れてやってきた庭瀬校新米教師の前です。
このブログを書かせていただくのも2回目になります……恐縮恐縮。
さて今回は、ある先生と生徒のお話を紹介しますね。
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『縁を生かす』
ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。
その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり、皆が手をあげて発表する中でも、一度も手をあげない少年がいた。
先生はどうしてもその少年を好きになれず、いつからかその少年を毛嫌いするようになった。指導記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。そこにはこう書いてあった
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来楽しみ」とある
—–間違いだ。他の子に違いない。先生はそう思った。
二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。
三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」。
三年生の後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、
四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、
先生の胸に激しい痛みが走った。
だめと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かされた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、
少年は自信を持ち始めていた。
六年生で先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、
それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。
十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えた事への感謝と、
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
そして一年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母親の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。
先生は嬉しくて涙が止まらなかった。
たった1年間の担任の先生との縁。
その縁にこの少年は無限の光を見出し、それをよりどころとして、
それからの人生を前向きに生き、その人生を開花させた。
人は誰でも無数の縁の中に生きている。
大事なのは、出会った縁をどう生かすかである。
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長文におつきあいいただき、ありがとうございます。
いかがでしたか?
私がこの話を知ったのは今から15年以上前ですが、
いまだに読むたびに涙が出そうになります。
ダメな人/ダメな子なんていない。
可能性のない人/子なんている訳ない。
僕たち大人が、ダメだと決めつけてしまう考え方があるだけ。
実際の教育現場では、上の話のように心癒されるエピソードだけで進むはずはなく、一人の子だけに手をかけ過ぎることは難しかったり、時には厳しい指導をしたり・・・うまく行かないことが毎日のようにあるのが現実です。
ただ一方で、「縁の大切さ」と「人の可能性は無限であること」を常に肝に銘じ、この先生のように生徒の心に残り、その人生に良い影響を与えるような関わり方ができればと思います。
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出典:『小さな人生論3』致知出版社