目に見える部分の裏にある真実に思いをはせる
こんにちは。庭瀬校・前です。
前回、子供を抱っこしすぎで腰を痛めた話を書いたら「大丈夫ですか~?」と温かい声をかけてくれた生徒さんが!・・・涙
ありがとうございました。はい、おかげ様で腰は全快し、休日はたくさん抱っこしています。
さて今日は、ある方の少年時代のお話をご紹介します。
いつもの庭瀬ブログと少し感じが違ってしまいますが、ぜひ読んでみてください。
ではどうぞ。
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少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。
殊(こと)に母親の溺愛は近所の物笑いの種になるほどだった。
その母親が姿を消した。
庭に作られた粗末な離れ。そこにこもったのである。結核(けっかく。感染性の強い死の病)を病んだのだった。近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は離れに近寄らずにはいられなかった。
しかし、母親は一変していた。
少年を見るとありったけの罵声を浴びせ、コップ、お盆、手鏡と手あたり次第に投げつける。青ざめた顔、長く乱れた髪、荒れ狂う姿はまさに鬼だった。少年は次第に母を憎悪するようになった。
哀しみに彩られた憎悪だった。
少年の六歳の誕生日に母は逝った。
「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに少年は全身で逆らい、決して柩(ひつぎ)の中を見ようとはしなかった。
父は再婚した。
少年は新しい母に愛されようとした。だが、だめだった。父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。
少年が九歳になってほどなく、父が亡くなった。やはり結核だった。
その頃から少年の家出が始まる。公園やお寺が寝場所だった。公衆電話のボックスで体を二つ折りにして寝たこともある。そのたびに警察に保護された。
何度目かの家出の時、義母は父が残したものを処分し、弟を連れて姿を消した。
それからの少年は施設を転々とするようになる。
十三歳の時だった。少年は愛知県知多半島の少年院にいた。もういっぱしの「札付き」だった。
ある日、少年に奇跡の面会者が現れた。
泣いて少年に柩の中の母を見せようとしたあの家政婦のオバサンだった。オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。
死の床で母はオバサンに言ったのだ。
「私は間もなく死にます。あの子は母親を失うのです。幼い子が母と別れて悲しむのは、優しく愛された記憶があるからです。憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。そのほうがあの子は幸せになれるのです」
少年は話を聞いて呆然とした。
自分はこんなに愛されていたのか、涙がとめどもなくこぼれ落ちた。
札付きが立ち直ったのはそれからである。
作家・西村滋さんの少年期の話である。
喜怒哀楽・・・うれしいこと、腹立たしいこと、かなしいこと、楽しいことに満ちているのが人生である。
そんな喜怒哀楽に彩られたことが次々に起こるのが人生である。
だがその表面だけをすくい取り、手放しで受け止めてはなるまい。
喜怒哀楽の向こう側、裏側にあるものに思いを馳せつつ、人生を歩みたいものである。
(致知出版社『小さな人生論』から抜粋)
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上の最後の数行に書いてあることがすべてだと思うのです。
最近、私の母(故人)への感謝を改めて感じ入ることがありまして、今回はこの文章を紹介させていただきました。
家庭でも学校でも塾でも、日々様々な出来事が起こりますよね。
その時、うれしかったり、悔しかったり、悲しかったり、腹が立ったりすることがあるでしょう。
そういう感情を抱くのは当たり前なのですが、ただその感情だけに左右されるのではなく、ちょっと立ち止まって、
「その出来事は自分にとってどんな意味があるのか?」
と考えられるようになりたいものです。
ちょうど先日、ある小学生が
「私、さかな嫌いなのにお母さんがお昼ご飯に焼き魚を出して怒ってるの!」
と言っていました。聞けば旬のサンマだとか。おいしいのに~。
お母さんは栄養バランスを考えて、しかもおいしいサンマを出してくれたのですよね、〇さん?(笑)(〇さんはとても素直ないい子です。誤解なきよう)
「人生に無駄な出来事はない。すべてに意味がある。」
という言葉がありますが、まさにこれです。
勉強の場面でも同じようなことがあるはずです。
悔しかったり悲しかったりすること、ありますよね。
でもそこで、「待てよ。この意味は・・・」とか、「相手の真意は・・・」と
考えられるようになれれば、学力の面でも人間的にも一段階成長できると思います。
・・偉そうにすみません。これは、私自身の反省点でもあります。
振り返り、何事からも、接する誰からも、その表面の裏側にある意味を汲み取り、
感謝し、学び、改めるべきところは改めながら成長していきたいものです。
Fin.