「感奮興起」(かんぷんこうき)・・・やる気が大事!

何かに感じ、

「自分もうかうかしておれない」

「よし、やるぞ!」

と奮い立つこと。

これを表す『感奮興起』(かんぷんこうき)という言葉があります。中国古典の世界の言葉で、人間の成長に不可欠の資質、要素なのだそうです。

こんにちは。庭瀬校・前です。
今週、秋晴れの爽やかな空の下、KLCの他校舎の先生とテニスをしまして、その後有名なラーメン屋で麺をすすりながら、「やっぱり生徒の成績が伸びるかどうかは、本人のやる気次第だよね」という話をしました。

今日はその「やる気」についてです。

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「憤」(ふん)

感奮興起するときの心のエネルギーみたいなものを「憤」(ふん)と言います。
世の中には50歳、60歳になっても、感奮興起して、憤の心を持って、何か新しいことを始める人がいます。そんな人は、若々しく輝き、人の目を惹きつけるものです。

私の父は、もう引退しましたが元外科医で、手術のときの手先の動きが鈍らないように58歳のときにピアノをまったくのドシロウトから初め、毎日数時間練習し、5年でショパンを発表会で披露するようになりました。(たぶんショパンの中でも簡単な曲だとは思いますが)・・・ちょっと父じまんでした。

一方で「どうせ私はこんなものだよ・・・」と限界線を作ってしまうのも、やはり自分。変わろうとする「憤」(ふん)がありません。たとえ10代、20代でも心は枯れています。

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孔子(こうし:中国の2500年以上前の偉人)の遺した言葉にこういうものがあります

「苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり。」

学問をしても苗のままでいつまでも穂を出さない者がいる。
せっかく穂を出しても、実を結ばずに終わってしまう者もいる…という意味です。

「これをいかんせん。これをいかんせんと言わざる者は、吾これをいかんともするなきのみ。」

こちらの意味は、
「どうしたら自分をもっと向上させることができるか。いかにしたら自分をもっと磨くことができるか……。真剣に問い、求めようとしない者は、この私もどうすることもできない。」となります。


苗のままで終わるか、実を結ぶ者になるか。
その差は、感奮興起のいかんで決まる。

孔子の時代、2500年前から、
「どうせ私は…」という人はどうにも成長しないし、
「よし!やろう!」という人は、実を結んでいく。

……人間の法則、真理ですね。

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塾という<学びの場>においては、とりわけそういう「憤」の心「よし!やろう!」という心の強い子が上位を走り続けます。

子供に限らず人間って、「ダメだダメだ」と否定され続けたり、「これやれー!」「あれやれー!」と強制され続けたりしていると、やることはやるかもしれませんが、「憤」の心はつぶされていますから、まぁ続かないですね。間違いありません。

だからこそ、庭瀬校では、生徒のことを決して否定しません。むしろ頑張っているところを積極的に評価します(もちろん、ルール違反に対して叱るところは叱りますが…笑)。
生徒のモチベーション(=憤の心)こそが、成績向上、ひいては人として成長していくために何よりも大事だと考えているからです。

「自分もうかうかしておれん!」

「よし、やるぞ!」

という気持ちで頑張って行きましょうね!

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