物はなぜ燃えるのか?

岡山校

 物は、なぜ燃えるのでしょうか?

 むかしむかし、人類が「科学」というすばらしい道具を持っていなかったころ。私たちの祖先は、日常生活の中でうかぶこうした疑問にさまざまな方法で答えを出していました。
 その中には、今では「まちがい」であると分かっている答えもあります。
 今日はそうした「まちがい」をいくつか紹介してみましょう。

■火を奪った男の物語

 ニュージーランドの神話に、マウイというたいへんないたずら者が登場します。

 むかし、人間は火をつける方法を知りませんでした。火がなければ、体を温めることも、食べ物を料理することもできません。
 火を持っているのは火の女神だけだったのです。
 貴重なものであるからこそ、いたずら好きの血がさわぐものです。マウイは「女神の持っている火を消してやろう」と悪いことを考えました。

 マウイは女神の家に行き、こうお願いしました。
「村の火が消えてしまったから、おれに火を分けてください」
 女神はこころよく火を分けてくれました。ところがマウイは家の外へ出るなり、わざとその火を消してしまいます。そしてすぐに女神のもとへ戻り、こう泣きつくのです。
「せっかくもらった火が消えてしまった。もうひとつ火をくれ」
 こんなことを何度もくりかえし、マウイは次々に女神の火を消していきます。はじめは親切だった女神も、だまされていることについに気づいて怒りはじめました。
 女神は火をはなって大火事を起こし、マウイを焼き殺そうとしました。マウイは必死に走りましたが逃げきれません。
 そこでマウイは雨を呼びました。降りしきる大雨によって女神の火は消えていき、マウイはなんとか生きのびることができました。

 さて、このとき女神の火はみんな消えてしまったかに思われました。
 しかし、実は女神の火はまだ生き残っていました。雨によって消されてしまう直前、女神は火を木の中に隠しておいたのです。
 それ以来、火はいつも木の中に隠れています。だから今でも、木をこすり合わせれば、そこから火が出てくるのだそうです。

 もちろんこれは空想の物語です。しかし、むかしの人々が限られた手がかりの中から懸命に考えて、世界の不思議を解き明かそうとしたことがわかりますね。

■燃素

 科学の世界でも、はじめから正しいことが分かっていたわけではありません。

 かつて科学者のあいだでは、物質は「燃素(フロギストン)」というものをふくんでいる、と信じられていました。
 物が燃えると、その中から燃素が空気中へ出ていきます。この燃素を失ったあとに残るものが灰。だから物が燃えて灰になると、燃素がなくなったぶんだけ軽くなるのだ、と説明されていたのです。

 ところが、ここに燃素説では説明がつかない事実が見つかりました。
 というのも、木や紙を燃やして灰にするとたしかに軽くなるのですが、金属を燃やした場合は逆に重くなってしまうのです。

 これを説明づけるためにさまざまな仮説が立てられましたが、どれもいまひとつしっくり来ず……
 やがて、「物が燃えるというのは、酸素と結びつくことである」という「酸素説」が生まれ、こちらのほうが正しかったということが明らかになっていくのです。
 みなさんが理科の授業で習っているのも、この「酸素説」ですね。

■「まちがい」と「うそ」

 さて、「火を奪った男の神話」や「燃素説」は、どちらも「まちがい」でした。しかし、これはむかしの人々が「うそ」をついたということになるのでしょうか?

 いいえ、そうではありません。「うそ」とは、「事実と異なっていると知ったうえで、まちがったことをわざと言う」ことをいいます。しかし神話を考えた人々や、燃素説をとなえた科学者たちは、その時代に手に入れることができた情報の中から、自分なりに考えたうえでひとつの結論を出しただけなのです。

 実はこれこそが、科学のいちばん大切なところではないか、と思います。

 人間ひとりひとりの力は、とても小さなものです。正しいことがはじめから分かるはずもありませんし、いつだってまちがいは生まれるものです。
 だからこそ、科学の世界では、まず「こうではないか?」という仮説を立て、世界のひとびとに公開します。
 ほかのひとびとは仮説を読み、「たしかにそうだ!」「いや、それはおかしい」という両方の立場から、きちんと調べられた証拠に基づいて意見を出します。そしてまた、その意見ひとつひとつについて、みんなが正しいかどうかを確かめていくのです。

 それは気が遠くなるほどめんどくさく、たいへんな作業です。しかし、だからこそ、導かれた結論は「かなり正しそうだ」ということができるのです。

 みなさんが教科書で学んでいるのは、こうしたたいへんな作業を乗りこえて、「どうやら、これは正しいぞ」と認められたことばかりです。
 これまでの人類が、がんばってがんばって積み上げてきた知識の山。それを学び取ったうえでこそ、さらにそのうえに、新しい知識を積んだり、今まで積み上げられた山の一部を手直ししたりすることができます。

 今のみなさんの勉強は、未来の科学を作るたいせつな1ピース。

 勉強をしていると、ときには「こんなこと、やっても意味ないのではないか?」という気がしてくるものです。
 でも、受験生のみなさんが日々とりくんでいることは、このように、壮大な人類の歴史の中で重要な意味を持っていることなのです。
 今年度の受験シーズンも残すところあとわずか。どうか胸を張って、本番にむけてがんばってくださいね。

岡山校 杉本