感奮興起(かんぷんこうき)という言葉知ってますか?

倉敷校

■「感奮興起」

何かに感じ、「自分もうかうかしていれない」 「よし、やるぞ!」と奮い立つこと。
これを 『感奮興起』(かんぷんこうき)と言います。
人間の成長、人生の発展に不可欠の資質、要素だと言われています。

■「憤」(ふん)

感奮興起するときの心のエネルギーみたいなものを「憤」(ふん)と言います。
「憤」のある人は、自分を磨き、輝かせていくことができ、 人生を変えていける人です。50歳、60歳になっても、感奮興起して、憤の心を持って、何か新しいことを始める人がいます。・・・そんな人は、とても輝いていますよね。若々しい。

私の父は(元)外科医ですが、
手術のときの手先の動きが鈍らないようにと60歳のときにピアノをまったくのドシロウトから初め、毎日練習し、5年でショパンを弾くようになりました。

そんな感奮興起の人は、どこにでもいて、異彩(輝き)を放っているものです。


一方で、、、
「どうせ私はこんなもの」と限界線を作ってしまうのも、やはり自分。変わろうとする「憤」がありません。
「どうせ自分なんて……」と言う人は、たとえ10代20代でも心は老人、枯れています。

どうせ生きるなら、ただ生きるだけでなく、輝く人生を送りたいと、私は思います。
みなさんにもそんな風に輝いて欲しいと思います。

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紀元前500年頃の中国の聖人・孔子(こうし)の一番弟子、顔回(がんかい)の言葉。

「舜何人ぞ。予何人ぞ」(しゅん なんびとぞ。われ なんびとぞ)

舜(しゅん)というのは、中国古代の聖人です。
「聖人の舜も人、自分も人。努力修養すれば、自分も必ず舜のような人物になれる!」
と顔回は感奮したのだそうです。
感奮興起の原点みたいな言葉です。

「わたしだって!」「オレだって!」「あんな風になるぞ!」・・・といったところです。

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孔子にもこういう言葉があります。

「苗にして秀でざる者ある。秀でて実らざる者あり」

学問をしても苗のままでいつまでも穂を出さない者がいる。
せっかく穂を出しても、実を結ばずに終わってしまう者もいる。

「これをいかんせん。これをいかんせんと言わざる者は、
 吾これをいかんともするなきのみ」

どうしたら自分をもっと向上させることができるか。いかにしたら自分をもっと磨くことができるか……。
真剣に問い、求めようとしない者は、この私もどうすることもできない。
苗のままで終わるか、実を結ぶ者になるか。
その差は、感奮興起のいかんで決まる。


孔子の時代、2500年前から、
「どうせ私は…」という人はどうにも成長しないし、
「よし!やろう」という人は、実を結んでいく。
……人間の法則、真理ですね。

さあ、あなたも輝きましょう!

         倉敷校・前