壁を越える

2024年3月23日庭瀬校

先週、あるスポーツの大会で優勝経験もある小学生が苦しそうな顔をして
「受験のために習い事(そのスポーツ)をやめた方がいいでしょうか」と聞いてきました。

状況を聞いた上で、
「いや、やめるべきではない。続けたら、あなたの勉強時間は少なくなり、より大変になるだろうけど、その中で時間をやりくりし、集中して少しでも短い時間で終わるよう取り組んでいく方があなたは伸びる」
とアドバイスしたら、ぱぁっと明るくうれしそうな顔になりました。優勝するくらいだから、そのスポーツが大好きなのですね。一生懸命打ち込んだものを捨てることなんてないです。受験勉強と両立していきましょう。


今日のブログは、庭瀬校の生徒たちの写真を散りばめています。いま校舎入口のモニターで常時流れているスライドの写真の中からピックアップしました。庭瀬校の空気感を少しでも感じていただければ。
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この人ほど人生の辛酸をなめた人はいまい、と思われる一人に二宮尊徳(幼名・二宮金次郎)がいる。
みなさんの学校にある銅像の人です。歩きながら本を読んでいる(勉強している)人です。

(写真:wikipedia英語版より)

天明七年(1787年)、現在の神奈川県小田原市に小さな農家の子として金次郎は生まれた。
平穏な暮らしが一変したのは四歳の時だった。関東一円を襲った大暴風雨で酒匂川が洪水をおこし、父の田畑は荒地と化し、一家は貧乏のどん底に落ちてしまう。

災難はさらに続いた。
その荒地開墾の無理がたたり、父は47歳で他界した。金次郎13歳の時である。

そしてその二年後、父の後を追うように母が急逝する。35歳の若さだった。母の死後、弟二人は母の実家へ引き取られ、金次郎自身は父方の伯父の家へと引き取られ、一家は離散を余儀なくされた。

伯父の家の野良仕事で働きづめの毎日。だが注目されるのは、金次郎が学ぶのをやめなかったことである。芝刈りの山への往復さえ、「大学」という人間学の本を手放さず読み続けた。

しかし、伯父は「百姓に学問はいらない」と勉学を嫌った。それでも金次郎は深夜に布団をかぶって行燈(あんどん)の灯を隠して本を読み続ける。だがそれも見つかってしまって、「油がもったいない」と叱られた。

金次郎は友人から借りた一握りの菜種(なたね。菜の花のたね)を川土手にまき、収穫した菜種をしぼって油をとり、学び続けた。

金次郎が捨てられた稲苗を拾ったのは16歳の時。それを荒地に植えた。秋、一俵(60kg)の米がとれた。翌年、一俵の米は五俵(300kg)になった。

自然の恵みに人間の勤労を加える営みをこつこつ積み重ねると、大きな成果になる。金次郎は「積小為大」(せきしょういだい※)の哲理を貧窮との闘いから会得する。それは、金次郎を多くの農民を救う指導者に成長させていった。

※「積小為大」(せきしょういだい:「小さい事が積み重なって大きな事になる。だから、大きな事を成し遂げようと思うなら、小さい事をおろそかにしてはいけない」という意味です。)

立ちはだかった貧窮の壁。それを乗り越えようとする苦闘の中で二宮尊徳という人格は育まれたのである。

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形こそ違え、人生の壁は誰の人生にも訪れてくる。

このブログを読んでくれているみなさんにも、
受験勉強の大変さ。部活や習い事との両立の難しさ。勉強してもなかなか成績が上がらない。勝てない相手・・・・など、色んな壁を味わっているはずです。
ただ、壁が立ちはだかった時に、人がたどる道は二つに分かれる。

●一つは厳しい道。壁に敢然(かんぜん)と挑み、なんとしても乗り越えていこうとする道、
●もう一つは楽な道。壁に圧倒され、萎縮(いしゅく)し、そこから逃避する(逃げる)道である。



今週の各クラスで話したことです。

『人生の選択理論』 
人生は選択の連続である。
例えば、ちょっと疲れている夕方。「今日宿題やってしまおうかな、それとも疲れているから今日はゲームして寝て、明日にしようかな・・・」みたいな選択。

選択の場面で人が選ぶ道は「自分にとって厳しい選択」か、「楽な選択」の2つである。
いま楽な選択をした人は、次の場面でも楽を選ぶ傾向がある。
一方、いま「厳しい選択」をできた人は次の場面でも「厳しい選択」をし、どんどん成長し、成績を上げていく。

もちろん休息も必要。でも休むのはやるべきことをやってからでいい。
「やるべきことをやってからやりたいことをするか」あるいは
「やりたいことを先にやってから、後でやるべきことをやるか」…

そのちょっとした選択の心がけの積み重ねが1週間、1か月、1年、3年と続くことでとてつもない大きな差を生み出すのだ。

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人は壁に苦しみ、悩み、苦悶し、格闘し、時に傷つく中で、その人格を成長させていく。
壁はその人の能力をさらに高め、魂を磨き、本物の人物にするために、天が与えてくれる試練だということである。

壁から逃げてはならない。
壁は私たちが何かを学ぶために、私たちの前に現れてくるのだ。
そのことを肝に銘じておきたいものです。


経営の神様、松下幸之助さんの言葉がある。
「人間は自らの一念が後退する時、前に立ちはだかる障害物がものすごく大きく見える。その障壁は動かすことのできない現実と思う・・・しかし、そう思うところに敗北の原因がある」

越えられない壁はない。達成できない目標はない。
 越えようとしない自分がいるだけ。

あるいは
 何としても越えようとし、越えていく自分がいるだけ。


さあ頑張って行きましょう。

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