目に見えない世界

 突然ですが、「世界」とはなんでしょうか。

 古代ギリシャの時代、世界とは「ヨーロッパ」「アジア」「リビア」の3つを指していました。
 ここでいう「リビア」とは、今でいうアフリカ大陸の北部、地中海沿岸を指します。また「アジア」とは主に現在のトルコあたりから、せいぜいインドくらいまでの範囲を意味しており、それより東の地域は知られていませんでした。

 そしてこの3地域の周囲は「オケアノス」と呼ばれる巨大な川(大洋)が取り囲んでおり、それが世界の全てであると思われていたのです。

 もちろん、現代の我々からみれば、すごく変ですよね。はるか海のかなたのアメリカ大陸やオーストラリアだけでなく、陸続きの中国や東南アジア、大陸のすぐそばにある日本もまったく「世界」に含まれていません。
 古代ギリシャの時代ですから、飛行機も自動車もありません。電話、インターネット、無線通信もないですし、印刷技術も未発達ですから本は1文字1文字手書きで書かなければいけません。そのような社会においては、自分の住んでいる街から遠く離れた場所の情報など、ほとんど分からなくてもしかたがないと言えるでしょう。

 ですから古代の人々は、そんな「目に見えない世界」を、想像と推測によって補いました。もちろんただの当てずっぽうというわけではなく、限られた情報をもとにして、「目に見えない世界」の姿を懸命に探ろうとした結果です。
 しかし、その推測から導かれた世界の姿は、真相と比較して……どうでしょうか。ずいぶんおかしなものになってしまっていますね。

 でも、現代の私たちに、古代ギリシャの人々を笑うことができるでしょうか?

 私たちは、海の向こうの異国……たとえばアメリカ、ギリシャ、中国や韓国、アラブの国々で、今何が起きているか、どれほどのことを知っているでしょうか。その土地に住む人々がどんな暮らしをして、何を考えて生きているか、どれほど分かっているでしょうか。

 海外ばかりではありません。日本国内においても、東京で、沖縄で、あるいはすぐ隣の県で、どんなひとびとが、どんな活動をしているでしょう。

「そのくらい、知ってるよ」
 そう言いたくなる人もいるかもしれません。ですが、ほんとうに「知っている」のでしょうか? 「目に見えない世界」を推測で補い、「知ったつもりになっている」だけではないのでしょうか?

 人間社会についての話だけではありません。たとえば化学についてもそうです。「物質は原子からできている」ということを「知っている」人は多いでしょう。でも、原子をその目で見たことがある人はいますか? まず、いないでしょうね。なのになぜ「物質は原子からできている」と言い切れるのか……それをきちんと説明できる人がどれほどいるでしょう?

 想像力は、人間がもつ大切な能力です。想像することこそが人類を進歩させてきたという側面も確かにあります。
 ですが、「目に見えない世界」を想像で補うことに満足してしまったら、「世界」は、それ以上広がることができなくなります。ひとりの人間の中にある「世界」の限界が、そこで決まってしまうのです。

 ですから、学ぶことは、世界を広げることなのです。

 まだ知らないこと、目に見えない世界、それはこの世の中のさまざまなところに、ほとんど無限に思えるほどたくさん、眠っています。それを揺り起こし、世界を広げるために私たちができることは、学ぶことしかありません。

 いまはピンと来ないかもしれません。でも、いつかみなさんがこの話を思い出して、「あれはこういうことだったのか!」と納得する日が来たらいいな、と思いながらこの文章を書きました。

岡山校 杉本